兵庫・柳原 蛭子神社柳原のえべっさん

神社紹介


蛭子神社御神影(おみえ)に描かれたのえびす様

蛭子神社の御祭神は、蛭子大神(ひるこのおおかみ=えびす様)と大物主大神(おおものぬしの神=大国様)です。主祭神の蛭子大神は、えびす様の総本宮と呼ばれている西宮神社と同じ御祭神でもあり、漁業や海上安全、特に商売繁盛の神様として有名で、庶民からの親しみも深く、たいへん人気があります。

「えびす」という言葉はよく見たり聞いたりする事がある思いますが、その字も様々で「戎」「恵美須」「恵比寿」「恵比須」などがあります。このように親しみのある「えびす」という神様の名前ですが、実は我が国の古典・神々の系譜には、その姿を現していません。八百万の神と称されている我が国の神様ですので、その多くの神様の一人として考えればよいわけですが、これだけ信仰の篤い神様が記紀神話に出てこられないのも不思議なことです。

諸説ありますが、おふたりの神様がえびす様のルーツではないかと云われています。おひとりは当社の主祭神である「蛭子大神」、もうおひとりが「事代主神(ことしろぬしのかみ)」です。

蛭子大神

「えびす神」の中でも一番古くから語られているのが、『古事記』『日本書紀』の国生みの段に登場するヒルコ(蛭子)の神です。この神は、イザナギ・イザナミの神が日本国土を創世する際に、その御子として生まれましたが、手足の不自由な負具者と描かれ、天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)に乗せられ流されたと記されています。後に、鎌倉時代の『源平盛衰記』には次のような記事が登場します。

蛭子は3年迄足立たぬ尊とておはしければ、天磐樟船に乗せ奉り、大海が原に推し出されて流され給ひしが、摂津の国に流れよりて、海を領する神となりて、戎三郎殿と顕れ給うて、西宮におはします。

すでに鎌倉時代には、このように、ヒルコ神がえびす神という認識がなされていたようです。

事代主神

事代主神は『古事記』『日本書紀』によると大国主の御子神であるとされています。いずれにも船に乗っていたり、海辺で魚釣りを楽しんでいたように伝えられており、その様子が鯛を抱え、海の神、大漁の神として篤く信仰される「えびす様」に繋がるようです。

蛭子神社に伝わるえびす様

えびす様のお顔は大きな福耳、凛々しい口髭と顎髭、にこやかな笑顔と大変特徴的なお顔で、右手には釣り竿、左手には鯛というお姿が有名です。こうしたお姿を特長としながらも、時代によって描かれるえびす様はさまざまなものがあります。


蛭子神社御神影(おみえ)に描かれたのえびす様

十日えびす大祭のポスターなどに描かれたえびす様
(左は昭和60年代~平成20年頃、右は昭和40年代~50年代頃に使用したポスター)

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